かいてほしいというゆうき [みみのこと]
昔は聞こえていたからか
聞くということをしてきた。
聴力が落ちるにつれて
聞くことに神経を使い頑張って
頑張ってもダメんなって、ならばと補聴器をつけて頑張って。
「聞き取れないので、書いてください。」ということをしないできた。
相手に頼んでゆっくりハッキリ言ってもらえば、
どうにか聞こえると思ってきたからだ。
もうそれも難しいと感じることに
たまに出くわす。
某メガネ屋さんで、
たまたま補聴器のクリーニングをしてもらった。
待ち時間が長いので預かってもらうことにした。
研修生という名札をした彼女。
補聴器外すとおもむろにメモとペンを用意した。
てっきり筆談してくれるものと思いきや、
名前と連絡先を(いうて電話かいっ!)教えてと
メモとペンを持ちかまえてる。
・・・そうか、そうか
口読みしたよ。
メガネ屋やもん、研修生やもん、無理ないな。
しゃべってれば、聞こえる。
というまわりの認識。
そこを
「書いてください。」という勇気をこれからつけていかねばなぁ。
せんひきはないのです [みみのこと]
中難聴協と地域サークルに入っていますけれど、このたびろう協にも入りました。
たぶんここだから入れた、入れてもらえたと思います。
難聴者はろう協と兼ねて入ってる人がいます。
ろう協の人も自分は難聴という人がちらほらいたりとさまざま。手話歴もさまざま。
だから線引きはいらない。
そう思いませんか。
サークルもね。
みみのひ [みみのこと]
ひな祭りでちらし寿司でお祝いされています。
聴覚障害者にとっては耳の日です。
お誘いを受けて行って来ました。
お友達は通訳者さんと一緒で私もそこに入れていただきました。
長年の通訳者さんらしく、あっちこっちで
声をかけられていました(^。^;)
会場は人でいっぱい。前日はもっとすごかったとか。それでもぐるっと一通り。
「珈琲とエンピツ」の前売りを買ったので、見に行こう~。
知らない人と挨拶いっぱいした。
こんなに大勢の聞こえに困ってるひとがいるんだとびっくりした。
自分は[難聴]だとか[ろう]だとかの
紹介から始まる。その境目はあるのか?
本当はないと思う。思いたいんだけどなぁ。
まぁいいや。 [みみのこと]
職場での世間話は聞こえないから、大きくハッキリした声を求めるし自分も音量大。すると注意を受ける。
だから入らない方がよい。
でもたまに自分の名前出る時がある。話終わった後で『ねぇ。』と声かけられたり。私にしたらコソコソ話の音量やん、『なに?』そっから私は会話が始まるのだ。
2回聞き直して聞き取れた言葉は、
『やっぱB型だね。』
何のことやら分かりません。おそらく『ねぇ。』の前の会話のなかからきた結果なのだと思う。なんで?みたいに前は内容を知りたかったけど今は諦めてる。
うれしい話ではないぐらいは分かる。
『ありがとう』笑って返しとけ~。
内容なんてどうでもよくなる最近。
こんなふうにコミュニケーションがなくなっていくんだろうな~しみじみ思う。
いまをいきよう [みみのこと]
ライブが終わって
バタバタの移動で講習会。
最近、有名な方の講演に参加することが時折あり
貴重な体験だなと思っています。
私の母も難聴なので
母を見ていずれは自分もこうなると想像がつけば
ずっとうやむやはするが、急激な精神的ショックはない。
けれども遺伝ではない
中途失聴とはある時から突然やってくるのです。
自分だけが突然聞こえなくなるという恐怖。
どうやって生きていけば良いのかわからなくなる不安。
守っていかねばならないものがある責任。
自分の想像を超えている講演内容でした。
それでも生きていかなければならない。
今日職場で、
「人生やりなおしたい・・・」といふ。
彼女は日頃、後ろ向きな発言が多いので聞き流すこともあるけれど。
「やりなおしたからといって
次に満足のいく人生が送れるってわけでもないで。」と私。
そりゃ、順風満帆にこしたことはない。
しかし、今が現実。
自分が現実を受け止めてどう頑張るかに人生かかってるんだよ。
・・・言い聞かせて頑張ります。
これから先、中失聴難聴者の役に立てるような
自分形成を目指していかないといけません。
とうぜんのごとく [みみのこと]
協会のあつまりで手拭をもらった。
「耳が聞こえません」「手話ができます」という言葉と
耳、手のイラスト。
あ~私は耳が聞こえないんだと我にかえった。
手話ができるがけども通じるかどうかは不明。
読めはできると思うけど。
何だか中途半端やん~
しかしこの手拭を外出時、カバンとか見えるように付けておけば
役に立つかもしれない。いいもんもろた。
「お腹に赤ちゃんがいます」マークより目立つし!!
でも、今は使わないでおこうと思う。
障害者と認めてもらうまでは。
自分が困ることなんだけれどもね。
世間に対するささやかな抵抗というのか・・・
本当はそれが世間に対しても逆効果なんだろうね。
私、いじけてるんやわ。
わたくしごとですが [みみのこと]
自分の聞こえに対して説明するとしたら・・・
「デスクワークの職場」
パソコンを挟んでの前の人の話、
ひとり挟んで隣の人の話、
背中向きに座っている人の話 すべて聞こえません。
自耳なら・・・ 声自体聞こえない。
補聴器なら・・・いろんな人の声がひびいて何を言ってるのか聞き取れません。
どっちにしろ内容は分かりません。
「駅のホーム」
スピーカーをさがして
それに正対位置に自分が立つことで内容がつかめる。
その場所を離れると響くだけです。
乗り換えの関係で最後尾車両に乗ることが多いけど
そこはスピーカーがない。
ホーム真ん中くらいのスピーカー下で
通過待ちがあるかないかの
放送を聞いてから移動してます。
何かと小技を使うことがあります。
うれしいやらかなしいやら [みみのこと]
法事に行くと
親戚の人と久しぶりに会う。
老若男女こういう時くらいしか話せる機会がない。
なので会えるのはうれしい。
でも、聞こえないんだな。ほぼ全部。
たぶん、なにこの子?と思われてるんだろうな~と思う。
先日のお盆の時も
義理兄が私に話しかけてくれてたらしいが
気がつかなかったらしく
「電話でも聞こえにくい人っておるよな~」という
義理姉がフォロー話していた。
その時、うちのダンナ様が
私が気付かんのを見て
「だいぶん、悪くなってきとんねん」って
お兄さん達に説明したんやって。
その話を千葉に帰ってきてからダンナ様に聞いた。
そこに一緒にいたのに当の私、全然状況が分かってなかった。
そういう状況がいろんな場面である。
くやしい思いをする。
なんかもったいない。
損してる自分。
「求めない」ってこととどう違うんだろう?と思う。
だから自分にできることは分かってもらうしかない。
出会う人に自分から説明し続けていかなきゃいけない。
理解してもらう。それに尽きる。心折れても頑張らねば。
じぶんへのかだい [みみのこと]
PCはまだ戻ってません。とほほ。
講演を聞きにいきました。
『要約筆記をつかいこなそう』
今まで要約筆記者の派遣は難聴者が利用するもの。
と思っていました。
自分が難聴になって要約筆記を必要としているかと
いえばそうでもなくて。
少なからず話し言葉の中に聞き取れる声があるという状態なら
時差がわりあい少ない手話のほうが分かり良いという理由です。
なので逆に要約筆記を使いこなすには?という
ことに「どんなだろう?」と興味をもちました。
実際には私は手帳を持っていないので
個人では当然のこと要約筆記にしろ手話にしろ通訳派遣を依頼
することはできません。
やはり自分の聞こえ、どうしてもらいたい、の説明要望を
きちんと相手に伝えていけるかにかかっていると最近常々感じている
ことです。
いばしょ [みみのこと]
今日は近所である手話サークルの講演会だった。
講演会は協会の方から案内のFAXを頂いていた。
ろう重複施設建設についてのお話。
地域での集まりに参加するのは初めて。
健聴者の手話サークルへ行くのは
何年ぶりだろう。
見た事ない顔に、健聴かろう者か聞かれる。
やっぱりどっちかなんだ。
難聴者と伝えると要約筆記がないことをお詫びしてくれた。
私は補聴器と手話。
今日は補聴器せず。手話読み取り勉強のため。
手話通訳がメインになるのでとても重要。
講演の中で「サークルの意義」を話されていた。
奥深かった。とても理解できた。
難聴であるがゆえ共感する部分があったからと思う。
今回も泣きそうになった。
通訳者が時折、顔を見合わせ見る。
うるうるして恥ずかしかった。
建設に向けての募金活動をしていた。
そういや、去年幕張駅で募金した。
今日は慌てていったのでお財布も持って行ってなくできず。
交流会があるらしく当然行けない、残念。
帰り際、「また遊びに来てください。」と声をかけられた。
素直にうれしかった。
今度、情報集めにサークルを覗かせてもらおう。
とはいえ健聴者の手話サークルはとても抵抗ある。
聴者とろう者が交流している場。
そこに難聴者はどう入っていけばいいのだろう。